December 08, 2006

良寛歌碑概要

Img_4251
【碑面】
ありまのなにてふむらに
やとりて
さヽのはにふるやあられのふるさとの
やとにもこよひ月を見るらむ

有馬のなにてふむらに宿りて
笹の葉に降るや霰のふる里の宿にも今宵月を見るらむ

【歌碑の案内】
良寛が国仙和尚のもとで修行を了えた後、諸国を行脚修行し、帰郷の途についたのは寛政八年(1796年)39歳の時であったと云われている。
赤穂-韓津(姫路市福泊)-明石-須磨-生田-有馬-吉川(高代寺)を経て京都に入っている。有馬の歌はその時に詠んだのであろう。

この歌碑が御所坊の中庭、偲豊庵の傍に建ちました。
建碑者は名古屋市在住の書家 川口霄亭さんです。

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December 04, 2006

良寛さんは有馬温泉に来ていた。

有馬温泉に残されている資料の中では、良寛さんは来ていない。
しかし・・・・
事実は違った。

実は今日12月4日。良寛さんが有馬温泉で読んだ歌を石碑に彫り、その除幕式が行われる。
(この件については除幕式後、ご紹介いたします。)

何か他に今日に関係することが無いかと調べたら、下記の事が出てきた。

京城で金玉均らが日本の援助でクーデターを起こす。甲申事変(1884)

「キンタマキン」本来の意味は知らないが、日本語だとそのもの
だから1回聞くと忘れない。
もうずいぶん前のこと・・・・たぶん15年ぐらいはたつのではないだろうか。
有馬温泉観光総合案内所で油を売っていた。
案内所にいると色々な人がやってくる。

金玉均が有馬温泉に来ていたようなので、それを調べるために韓国から来た人がいた。
たしか韓国人だった記憶がある。
名前の面白さだけが記憶に残っただけで、すっかり忘れていた。

インターネットで・・・金玉均と検索するとたくさん出てくる。

今日、クーデターを起こして成功するが、支援する日本軍が200名に対して清国の兵士が1.500人。
日本は、まだ清国と戦いたくなかったので支援を打ち切った。
その為わずか3日でつぶれてしまう。

その後、日本に亡命し数年間を過ごした。

金玉均は福沢諭吉と親交があった。
福沢諭吉といえば三田藩の白州退三が、当時まだ禁止されていた聖書を中国から持ち込んだとして問題になった時に、とりなした人物だ。

ひょっとしたら福沢諭吉に連れられて金玉均は有馬温泉に来たのかもしれない。

改めて色々な人が来ている有馬温泉だなあと再認識した。

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November 17, 2006

有馬温泉と蒋介石

革命・戦争・内戦・・・と波乱の1世紀を遂げた中国で、「悲劇の神話」とも言える歴史ドラマを繰り広げた一族がいた。
中国革命を指導し,台湾を治めた男・蒋介石(しょうかいせき)とその一族。

“革命の父”孫文の後を継いで戦った蒋介石は、二人の妻を捨て、一人の女と新たに結びつき、権力への階段を駆け上がっていく。その女こそ、中国に君臨した宋財閥の三女・宋美齢(そうびれい)である。
夫・蒋介石を権力の座に登らせた宋美齢は、自らの英語力を生かし、 ファーストレディとして政治の表舞台に登場し、あたかも「女帝」のごとく、歴史を動かすことに・・・。
その舞台の大きな一場面が有馬温泉で繰り広げられた・・・

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November 16, 2006

朝日・神鉄文化セミナー 戦国武将 秀吉

太閤秀吉の湯治場・有馬温泉(歴史講座)

太閤秀吉は天正11年(1583年)から文禄3年(1594年)までの間に9回有馬を訪れた。保養に社交に湯治にと有馬のいで湯は秀吉の天下を支えた。

講師:茨木一成(日本歴史学会会員)
開場:有馬小学校
時間:10時~11時30分
(入場無料)

問い合せ先:神鉄観光事業部 078-521-0321

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May 15, 2006

有馬の珍名所

有馬の「珍」なるモノ・・・・
の一つに「有馬珍人」 ミスター珍さんを選ぶコンテストを開催したら・・・
多くの票を集めるだろう人に、全寿庵 ごんそばの主人が挙げられるます。
Zen
主人は元有馬小学校の校長先生で、小学校にビオトープをつくり、有馬の川にホタルが増えるように尽力をつくされた方です。
そして退職金をはたいて「有馬の工房」で蕎麦屋を開いた。
むら玄の村上さんの打つ、蕎麦とは正反対の感じがする蕎麦です。
是非食べ比べてください。
御所坊の蕎麦もその食べ比べに加えていただくと幸いです。

話が逸れましたが、御所泉源の横の坂に不動明王が彫られている岩があります。
そこに「賽銭箱を置きたい!」と元校長が言い出しました。
その賽銭箱が変わっているのです。
箱は彼が鉄板を切り、溶接して作りました。
この賽銭箱に「賽銭を投入すると、お経が流れるようにしたい!」と相談がありました。

それなら・・・
と知人を紹介し、(中略)出来上がったのです。
賽銭を入れると流れるお経が又おかしい!
笑ってしまいます!

除幕式は今週20日の土曜日午前11:00
是非週末は、どんなに変わっているか、御所泉源横の不動坂の賽銭箱に賽銭を入れてみて下さい。


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April 03, 2006

有馬温泉の夜の楽しみ!!!!!

食事の選択肢や内容は都会の方に分が有る。
送迎システムを構築したとして
温泉だけで神戸のホテルに泊るお客様が、わざわざ有馬温泉に来るだろうか?

神戸に無い夜の楽しみをつくらないといけない・・・・
射的場をつくろうとすれば、パチンコ屋を開店するのと同様の、ややこしい風俗営業の許可手続きが必要だ。
いまさらコルク鉄砲の射的に射幸心をあおるほどの博打要素は無いと思うので、規制を緩和して欲しい。

先日の新聞で、大阪のオカマバーの観光ツアーが紹介されていた。
有馬温泉にもオカマバーが出来ればよいと思うのは僕だけだろうか?
昔・・・「ゲイバーをしたい!」と言ったら白い目で見られた。
芸者さんの婆さんがカッポウ前掛けで、ちょっとした料理を作り・・・
若い芸子が「おかあさん! 今帰りました・・・」と、そのバーに現れるというような店を想像していたのに・・・

昨年の夏に「大人の人形劇」を開催し、好評だった。
ちょっと大人が楽しめる催物が出来る会場が有ったら良いのにな~あ

よく知らないけど、1900年初頭、ウィーンなどのキャバレーで発達した「キャバレーミュージック」の有馬版が出来ればよいかもしれない。

通りでは「ナイトバザール」が開催されていたら楽しいのではないか?
神戸にはアパレル・ケミカルシューズ等の産業がある。
そのアウトレットや近郊の農産物や海産物が売られていると楽しいのではないか!?
その為には歩道を使える等の道路使用の緩和策が必要だと思う。

人形劇団を育てていく為の、地域芸能振興創出助成金等は出ないだろうか?

よくお客さんは「何か遊ぶ所が欲しい!」と言われるが、具体的にどのようなものがあったら良いのか?
お教え願いたい。


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送迎バス考

有馬温泉ループバスは有馬温泉旅館協同組合が運行しています。
このバスを運行する為のコストは年間1.000万円程度必要。
お客様方から100円頂戴する事で、年間200万~250万の持ち出しで運営しています。
不特定多数のお客様から100円頂戴するという事は路線バス営業になります。
その為に停留場を設け、設定した路線しか走る事は出来ません。
本来ならば、お客様が好きな所で乗り降りが出来ると良いと思うのですが・・・・
それですと個別のお客様から料金を徴収できません。
観光バスのようなチャーター運行になるのです。

地方では、旅館のマイクロバスがけっこう遠方まで送迎をしています。
どこまで旅館のバスで送迎しても良いものか????

有馬温泉に泊る人が神戸で食事をする・・・・
神戸のホテルに泊る人が、有馬で温泉に入って食事をする・・・・

そのような相互乗り入れが泊食分離だと可能になるのですが、夕食となるとお酒を召し上がる方も多い。
その為、有馬と神戸を送迎するような事が出来ないかと思うのです。

実際運行するには幾つかの法的問題点が生じます。その規制緩和が行なわれるのであれば・・・

有馬から六甲山夜景ツアーや近郊の農家のイチゴ狩りツアー等色々な企画を立てやすいと思うのです。
外国では色々なオプショナルツアーが存在するでしょう?

良いアイデアは有りますでしょうか?

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April 02, 2006

有馬温泉で泊食分離は成り立つか!?

温泉地や観光地には、ホテルよりも旅館が多い。
旅館の多くは1泊2食付というスタイルを取っている。
その形式が最近のお客様のニーズの多様化にあってない。・・・のではないか?
だから国内旅行が活発にならない・・・・
まちづくりという観点からも、食事を旅館で取らなくてお客様が街に繰り出す事で地域の活性化が図れ・・・
国内旅行が活発になるのではないか!?

他にも色々理由はあるのですが・・・・

有馬温泉は京阪神の都心に近い。
お昼の不特定多数のお客様に対応しているので、その夜バージョンもあってもそんなに問題はないのではないか!?
つまり泊食分離を推進していくのに他の温泉地に比べて、やり安い地域ではないかと思います。

そこで・・・
泊食分離を推進していく為には、どのような事があれば良いか考えたいと思います。
良いアイデアや問題点があればお教えください。

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January 23, 2006

権そばの主人

この人も「金星人」と呼ぶにふさわしい人だと思う。

有馬小学校で長年校長先生を勤められた。有馬温泉の川に蛍が増えたのは、彼が小学校で蛍の養殖を始めた事がきっかけ。
居合をするとの事。夏祭りの仮想大会で大八車を引き無用の介の格好で彼が賞をさらった記憶がある。
器用で自分で色々な物をつくる。
有馬小学校の校庭にある蛍のビオトープの水車小屋等。
定年後退職金をはたいて、有馬の工房の1階で手打ちの蕎麦屋「ごんそば全寿庵」を開いている。
このそばを打つ移動式作業場も彼の作品だ。

その彼が昨年夏から温めている事は、賽銭を入れるとお経が流れる賽銭箱を作ること。
この企画を聞かされた時には、すでにダンボールで賽銭箱の形が出来上がっていた。
賽銭を入れるとお経が流れる装置について相談を受けたので、電気モノだったらお任せの山田さんと話を聞いた。
そろそろ鉄製の本体ができたとの事。
「機械システムが出来た?」と催促の訪問だった。
山田さんに連絡を取ったら、ほぼ出来上がっているとの事。
有馬温泉のとある場所に、近々賽銭箱が出没する。
お経で近所から「うるさいT!」とクレームが来るかな?

いずれにしても“けったいな”事を考える人だ。
充分金星人といえる。

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January 07, 2006

射幸心を煽らない射的はあるか!?

昔、遊園地に鬼の的当てがあった。正式な名前は何かわからないが、お金を払ってボールを3つぐらい受け取り鬼に向かって投げる。ボールが鬼の真ん中の的に当ると、鬼が手を上げて「ウォー」と叫ぶ。
それだけなのだが、よくやっていた記憶がある。
ボール3つというのが味噌で、3つあればだいたい1回は当たる。
1回当たると鬼退治をしたという満足感が子供心に満ちてきた。

しかし3つとも当てるというのは中々出来ない。
もし統計を取れば2つあたった後の3つ目の失敗率というのは非常に高いと思う。
これが射幸心の「幸」度合いが大きければ大きいほど失敗の確率を増すと考えられる。

有馬温泉の夏場の閑散期に「ア!・リマのカーニバル」という夜店市を開いたことがある。このイベントは名前を変え現在まで20年以上続いている。
神戸北野天満宮の外国人のやっているゲームを真似て、有馬のカーニバルで「美女落とし」というゲームを企画したことがある。
酒造りに使う17石樽を酒造メーカーから借りてきて、水を張り、樽の上に座るスペースを設け、美人モデルを白いTシャツ姿で座らす。
ゲームの参加者にボールを三個渡し、全部的に当てると美女は樽に飛び込む・・・
水しぶきがお客さんにかかり、美女は冷たいからすぐ樽から上がる。
それだけのゲームなのだが、彼女の白いTシャツの下はノーブラ。
水にぬれた白いTシャツは結構エロティック。
ほろ酔い加減の観光客が次々と参加してくれるのだが、なかなか3つ当てることは出来ない。
主催者として、お客さんに見せたいという思いと、彼女が可哀想という気持ちと交錯していた記憶がある。

そのすぐ後に家族でグアム島に旅行をした。行った時がたまたま祭りの日で、地元のまつり会場を見学した。
すると「美女落とし」のもっと規模の大きいのをしていた。
もちろん美人でノーブラ。
有馬では、女の子が「お母さんに内緒なの」と言っていたのと大違いの明るさ!
お国柄の違いだろう。

話は射幸心に戻って、射的で的に当たれば鬼のようにからくり人形が動くという仕掛けを作ればどうだろうか!?
景品を出さないから博打ではないだろう。
おもちゃが動くのをお客さんが喜ぶと射幸心になるのか!?
また警察に聞いてみた。
「まあ私一存では判断できないから、一回図面を持って来て」と言う事になった。
コルク玉の鉄砲を撃って的に当てる事を温泉街で新規に行うのは結構ハードルがきついのか!?

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January 06, 2006

温泉街における射的屋営業の問題点

古い温泉街に射的屋が似合うと思うのは僕だけではないだろう。
しかしその射的屋で、あわよくば宿泊代ぐらい浮かそうと思う人は誰もいないと思う。
でもパチンコ屋だったら・・・・
僕はパチンコをやらないが、知り合いは何万勝ったとか負けたという話をする。
パチンコで宿泊代を浮かす事は可能のようだ。
負けた額については関知しない。

風俗営業の遊技場営業7号のマージャン屋やパチンコ屋と射的屋は同じカテゴリーに入るようだ。
まず警察に問い合わせした。

前提条件として場所が営業してよいかどうか。
次に申請書類がややこしいから行政書士に頼んだ方が良いという話。

言い方は悪いが、重箱の隅をつつくような書類審査になりそうだ。
そこで知り合いの行政書士に連絡を取った。

商売を成り立てるつもりはなく、温泉情緒をかもし出すアイテムとして射的屋がほしい。
出来れば外国のパブのようにダーツゲームを楽しみながら一杯やれる空間の和風版としての射的屋ができないだろうか?

射幸心が起こらないように、商品をなくしたら?

まったく無料という訳には行かないので、コルクの玉代は、有馬温泉の街づくりの寄付という形はどうか?

僕は単純に、レトロ感溢れる店内で、射的をやりながら一杯飲める空間があれば楽しいと思うのだけど・・・・
だめかな~あ


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December 03, 2005

ニワトリが先かタマゴが先か!?

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有馬温泉の湯本坂に「にしとら」という化粧品や婦人服を扱うお店があります。
元々は銀行だった建物だそうですが、商売柄お店は明るく白い外装の店です。
周りのお店が昔風に焼板やベンガラ色に変わっていく中で、正直少し浮いていたように思いました。

木曜日「にしとらさんが建物の外に木を張っているよ!」そして『「奥さんが木を張ると居酒屋に間違えられないか?」と言っていたよ』という話を聞きました。
今日早速行ってみると、見事に変身していました。

“まちづくり”の話を各地で色々な方とする機会があります。
まちづくりのプランは総論賛成で各論をきっちり詰めないままでまとめられるケースがあります。

その場合、そのプランを様ような解釈がなされプランの本来言おうとするコンセプトから外れる事もあります。
それは中途半端に補助金が付いたり、プラン策定後は議論が続けられなかったりした場合です。

しかし有馬の中心街の町並は、本来の町並みの景観と“あるけるまちづくり”というコンセプトを外れずに、それぞれの人が自覚を持って進めている良い例だと思います。それが結果、まちづくりになっていると思います。

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October 21, 2005

ギューリキマイマイ訂正!ギュリキマイマイ

先日の有馬温泉のカタツムリ ギュリキマイマイの訂正です。

宮司が“かたつむり”を見つけました。
これは「ギューリック マイマイ」と言って、珍しいものだというのです。

外国人が見つけて、その名前を付けたと言うので、インターネットで調べて・・・・
下記の文章を載せたのですが、早とちりでした。

P1000377
アメリカの自然研究家ジョン・ギューリックが見つけたといわれています。

・・・・・・・・・・・・・・・
今朝、囲碁の名人戦の関係者のお見送りをしている時に、有馬保勝会のメンバーで、森本畳店(近々にお店の紹介を致します)の主人が茶封筒を持ってきてくれました。
「森から預かってん・・・・」とギュリキマイマイの資料をくれました。
森さんについては THE 有馬で紹介したいとかねがね思っています。
森本畳店の主人と森さんとは友達なのです。

話を戻して、ギュリキマイマイ正確にはこちらをご覧下さい。
有馬温泉で発見されたと言う事は間違いはないようです。

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October 18, 2005

ギューリック マイマイ

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有馬温泉は逆三角形の地形。その右上に位置する地域は、六甲有馬ロープウェーの有馬駅やマス池があり、有馬で一番自然豊な場所と言えます。
その地域に“滝本神社”があり、今日はその秋祭りが行われました。
終了後、宮司が“かたつむり”を見つけました。
これは「ギューリック マイマイ」と言って、珍しいものだというのです。

P1000377
アメリカの自然研究家ジョン・ギューリックが見つけたといわれています。

まだまだ大きくなるそうです。
死んでいるのかなと思って、棒でつつくと生きていました!
ちゃんと自然に帰しておきました。

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September 10, 2005

この路地をかつて外国人が歩いてた?!

IMG_0132_thumb 1867年に神戸港が開港して、有馬温泉にもたくさんの外国人が避暑地として訪れたそう。外国人宣教師、貿易商、学者など数知れず。温泉街は外国語が飛び交う賑わいを見せていた。外国人たちの滞在期間は6月から9月までの夏場の4ヶ月間が中心。ちょうど9月の今頃は「そろそろ休みも終わるなぁ」というころだろうか。

朝7時散歩にでかけてみた。

温泉寺、念仏寺から読経の声。道路わきの溝からは湯煙、まさに温泉地の朝。有馬ロイヤルホテルから滝道方面の細い路地に入る。そのまま進むと、右手の景色がパッとがひらける。温泉街の隙間の向こうに神戸の町が見える。左手には旅館やまとの石垣が続く。その先に朱色の鳥居の「滝本神社」。そしてすぐ隣、旅館やまとの駐車場であるここに外国人ホテル「杉本ホテル」があった。かつての石垣だけは今も残っている。裏手には小川が流れ、秋には色づく大きなイチョウの木がそびえたつ。鼓ヶ滝までは歩いて行ける場所。

この路地をたくさんの外国人が颯爽と歩き、有馬の湯をのんびりと楽しみ、涼を求めて鼓ヶ滝に足を運んだのだろうか。もしかしたらここでひと夏の恋も生まれたのかもしれない。同じ路地を歩き想像するだけでワクワクしてきた。

九州は長崎・雲仙温泉。ここも有馬温泉と同様、明治時代に長崎港に来る外国人の避暑地としてひらかれた温泉地。下田ホテル、緑屋ホテル、亀の屋旅館(現・新湯ホテル)など純様式の外国人専門のホテルも多数あったらしい。有馬の地で昭和2年に婚約をした中国の政治家・蒋介石も、同じ年に雲仙の地を訪れたとの話。また、雲仙は1913年(大正2年)日本初のパブリックゴルフ場が出来た場所でもある(この9年前、英国人が神戸に4ホールのゴルフコースを造ったがここは完全会員制のもの)。

港から西洋文化が伝えられた・・と教わった記憶がある。教科書で教わる歴史は苦手だったけど、この路地を歩きながら「もうすこし歴史のことを知りたいなぁ」と思った自分にちょっと驚いた。今日もまたひとつ有馬の面白い路地に出会ってしまった。

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August 24, 2005

キリスト教会

有馬温泉には色々な宗教施設がある。
かつてはキリスト教会もあった。

明治八年新島襄と協力して同志社大学を創立したアメリカ人宣教師ジェー・ディ・ディビスが明治六年夏有馬に避暑に来て、日本語の伝道書を作る計画をたてた。
それが有馬温泉とキリスト教との結びつき。

摂津三田教会百周年記念史によると「明治十三年八月一日安息日礼拝後有馬より招いたゴールドン牧師により聖餐式を行う」と記載されている。十三年にはゴールドン牧師がすでに有馬で布教していたということになる。
明治三十二年宣教師英人マリー・テーラーによって滝本町の一民家を改造するまで、現在の森下仁丹寮の向かいで日曜学校が開かれていた。
カードを配り、幻燈をして風琴をならして「神の子よ叫べ、歌へ」と歌って布教につとめた。

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(聖公会の宣教師たち 杉本ホテルにて)
その後愛宕山の町公会堂を利用して時々礼拝が行われた。
明治三十六年七月十七日から十日間夏季修養会が開かれ、全国からキリスト教徒が集まり、当時の町長が斡旋して念仏寺、極楽寺の部屋を借りて宿泊させた。
その事が本山の知恩院に知れ、他教信者、まして異教徒を泊めるのはもってのほかと、浄土宗管長大僧正名で懲戒申渡書が念仏寺と極楽寺に送られてきたという。

明治四十三年十月米国人宣教師アール・エー・タムソンが有馬町鼓山1703の土地を町から20年の期限付きで借りて、建物をたてキリスト教会堂(水道局事務所)として使用していた。
大正初期毎年一週間から二週間にわたって全国夏季修養会が開かれ、大正三年開かれた時には神戸教会アツキンソン牧師が来て全国から1.000人の人が集まったという。
現在は有馬温泉にはキリスト教会は存在していない。

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August 23, 2005

有馬の外国人専用ホテル

有馬ホテル
有馬温泉の主要な泉源の一つ、有明泉源の横にあり、大阪の藤本清兵衛が経営していた。
明治四十年七月設立された大日本ホテル株式会社は京都の都ホテルを中心に奈良ホテル等を所有し、その1つとして有馬ホテルは吸収された。
その頃、100名以上収容できるホテルといえば、帝国ホテル、富士屋ホテル(箱根)都京都、オリエンタル トーア(神戸)などで、それらのホテルには及ばないが、24の客室があった。

時々ダンスパーティーが開かれ、ベビーゴルフ、玉突き台も設けられていた。
平屋建ての大広間でビヤーホールが開かれ、外国人にまざって日本人も乾杯をあげたという。

当時、国鉄有馬駅の近くに大日本ビールの炭酸工場が完成、そのレセプションは同ホテルで開催された。
昭和二年。蒋介石が有馬ホテルに宿泊し宋美麗をみそめて婚約したという話は、有馬では有名だ。
蒋介石が宿泊し有名になったものの経営はうまくいかず、昭和四年解散。
本店の都ホテルは独立。
有馬ホテルは大阪の今橋柳広之が買い取り、増田ホテルの増田宇三之助が経営に乗り出した。

昭和13年の阪神大水害でホテルの後ろの竹薮が崩れ建物も壊れて一部が流出、閉鎖するに至った。
昭和十五年神戸電鉄がその土地を買って、三十八年に兵庫相互銀行に売却、現在は老人マンションになっている。

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August 22, 2005

有馬の外国人専用ホテル

稲荷山ホテル
稲荷神社の児玉繁太郎宮司は漢方医をかね、なかなかの事業家だったという。
炭酸泉源近くの杉ヶ谷の稲荷神社山林、船員寮(今は無くて空き地)付近の峡谷に、明治二十八年二階建ての貸し別荘を五棟建てて外国人に貸し出し、昭和十四年ごろまで続いていた。
明治三十六年稲荷神社は杉ヶ谷から現在の場所に遷宮された。
大正十二年大阪の英国系協会の宣教師ホーランド女史が同神社の二階に間借りして消夏の生活を送ったという。
その際に二階の押入れにブリキ版を張ってシャワーを作った。
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女史はそれ以来、有馬温泉を気に入り、国鉄有馬駅(現在の先山病院)近くの土地を99年契約で借りて、その土地の税金納付通知書が稲荷神社にあるという。

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August 21, 2005

有馬の外国人専用ホテル

杉本ホテル
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現在の旅館やまとの駐車場のところにあった。
明治10年頃建てられ、杉本時松と次女よねが経営していた。
本館三階建で道を挟んで別館があり、客室数は15 昭和14から15年頃まで続いていたが、客が多くてマーチン邸を一時借りて経営したこともあるという。

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香港、上海からの外人が主で、一ヶ月以上滞在の予約をしてやってきたという。
閉鎖する前は亡命のロシヤ人が多く、部屋は開放的で鍵をかけなかった。
庭でよく食事をし、風呂は五右衛門釜で生温かく湧かしたものを浴びていたという。
この話から、ホテル花小宿は五右衛門風呂を導入した。
親切に接待した女中さんは外人に連れられて上海に遊びに行ったことも有るという。

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その頃の外人滞在期間はほとんどが6月から9月までの四ヶ月間で、その他の季節はわずかだった。
コックも夏だけ勤めたものが多かった。
外人は主にアメリカ人。
杉本ホテルの女主人よねさんは英語が上手で、外国人客に対して日本人離れした流暢な英語での接客ぶりはすばらしかったという。

朝食のメニューはオートミールからボイルド玉子、ベーコンを出し、外人客の中には○分でボイルせよという注文を出す人もあったという。
六甲とスイスの気候、温度がよく似ていたので、スイス料理で名のあった牛肉の生肉料理をオードブルで出してお客さんに喜んでもらったという。それは六甲の寒風に当てて、塩と硝石の粉末を混ぜてもみ、温めた塩水の中に一ヶ月程漬けておく。その上また寒風に晒して出来上がり。
有馬温泉から六甲の農家に持っていき適当な時期に取りに行って提供したという。
(1回つくってみるかな)

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August 20, 2005

有馬の外国人専用ホテル

増田ホテル
有馬温泉の金の湯からマス池に向かうと月光園の隣、現在駐車場になっている所に増田ホテルが慶応年間の末に開業した。奥が清水ホテル。向かいが杉本ホテル。当時この界隈は外国人のリゾート地という様相だったのではないだろうか。
 明治に入り6月から9月までに4ヶ月間 香港・上海から外国人が九州雲仙を見物して有馬に来て、大変な賑わいを見せた。
そこで増田ホテルでは客を収容しきれないので、近くのキングジョージホテルを大正二年から三年間の契約で借り受けて経営したという。
その頃は神戸のイギリス人オリバア・エバンス商会主やトーアホテル(現神戸外人倶楽部)の支配人ルーツ。
同志社女学校のデントン女史が再三訪れている。

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August 18, 2005

有馬の外国人専用ホテル

明治元年、神戸・函館・新潟・横浜・長崎の港を海外に門戸を開き、当時の西洋文化はここから日本全国に広まっていた。
その神戸在住の外国人たちは六甲山を越えて、有馬温泉にやってきた。
有馬温泉には外国人専用ホテルがいくつか設けられた。

清水ホテル(明治6年頃)
清水ホテルは温泉街から有馬里駐車場に向か道沿い、右手の白いテントが張られた塀の中にあった。
その清水ホテルの襖の下張りから古い宿帳が見つかったという。

明治9年6月4日
神戸三十八番、客、男洋一人来る。一泊り。
同年6月6日
神戸三十八番、客、洋人一人、ホヲヒナンキン一人、〆二人来ル。三泊り。
同年6月10日
大阪川口、洋人マクラフド一人来ル。一泊リ。
同年6月24日
神戸三十八番、男、洋人客二人来ル。一泊リ。
神戸二十五番、男、洋人一人、女洋人一人。
八十二番、男、洋人一人、ぺぺ一人、ポヲヒ忠太郎、ママトシ、〆六人来る。一泊ル。

このような宿帳だったそうだが、ホオヒはボーイの事。ナンキンは中国人を指すそうだが、ママトシとは何のことだろう?
どなたかわかる人おられますか?

・・・別の資料を見たら、ママトシでなくアマトシ。つまりお手伝いのトシさん

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June 02, 2005

有馬に未来はあるか!?

有馬の未来を探るシンポジュウム開催のご案内

6月14日(火曜日)午後1:00~4:00 有馬地域福祉センター2F

有馬温泉の未来・・・・というより、日本の観光地の振興策を探るシンポジュウムを開催いたします。
どなたでもご参加いただけます。

有馬温泉の都市に近い立地条件をどう生かすのか!?
誘客をいかに図るか!?
交通問題をどう解決するか!?
顧客の滞在時間をいかに延ばすのか!?
等を考えたいと思います。
(詳しくはpdfファイルをご参照ください)

湯布院温泉からは「パーク&ライド」の交通実験を行い、訪れる人の滞在時間を延びた。すると消費単価があがった。
・・・という話を、寺川重俊さんから聞くことが出来るでしょう。
日本全国の観光地の人たちにとって、非常に興味のある話題だと思います。

またその理想的な取り組みを、昔から行っている、スイスのツェルマット観光局の日本人対応の山田圭一郎さんが、その仕掛けを話されるでしょう。
有馬は都心に近いが、六甲の豊かな自然があります。エコツーリズム等の話も出てくると思います。

そして基調講演とコーディネーターを藻谷浩介さんにお願いしてあります。
観光地におけるOFF対策など、全国いや世界各地を回っておられるので、面白いアイデアが聞けることでしょう

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March 13, 2005

芸者さんの話番外編

 最古の職業は売春とスパイだといわれる。
“宿”と売春は付き物の時代があって、現代の高級住宅街の夙川は、かつて瀬戸内海を船旅でやって来た旅人が、明日は京、大阪という時の前泊地。船を泊めると、何処からとなく遊女を乗せた船が近寄ってきたという。
夙川の“夙”も“宿”と同じだという。

 今から30年程前、「ウイークエンダー」という番組があって、確か泉ピン子や青空はるお等が、一週間の変わった出来事を紹介する番組があった。今のモーニングショウの土曜日まとめ版のような番組だった。
泉ピン子さんの語り口が面白くて、よく見ていた記憶がある。
 そのウイークエンダーに有馬温泉が登場した事がある。何でも植物の蕗を使って、マッサージ師が人工中絶を行なって捕まったという話だった。蕗を使ってどのように中絶をするのだろうと不思議に思った事がある。

 そしたら昔の人はどうやって避妊や中絶をしていたのだろう? と疑問が湧く
そこでインターネットで検索してみると出てきた。
 中条流(江戸時代の中絶方法)
恋愛化学研究所
・・・たいへんだ~あ
でも外国ではどうしていたのだろう?

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March 04, 2005

芸者さんの話-6

 25年程前・・・
 ポートピア81が終わり、有馬の活性化策を考えなければいけない・・・
 毎週せんべい屋の二階に集まり「有馬に何があるねん????」と議論を戦わせていた。
 それならば神戸市の観光課の若手職員と、一回一杯飲もう!という事になった。
 その中で「僕ら芸者さんの遊びを知らん。なんあやらお座敷芸というおもしろい遊びがあるらしい・・・」
一回皆でやろう!
という事になり、「有馬温泉大学 芸道部」を開催する事になった。
 つまり芸者遊びを教える講座を開いた。

 お座敷芸は、座布団、襖、徳利、酒盃など基本的にお座敷の何処にでもある物を使って行なわれる。
 

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March 03, 2005

芸者さんの話-5

 昭和45年頃
 現在の「茶房チックタック」や「温泉堂」がある辺りは、「水中ヌード」等のストリップ劇場が幾つかあった。
「水中ヌード」というのに妙に興味があった。
「何をするのだろう?」昼間カーテンの陰から覗くと、大きな水槽があった。
ここにおばちゃんが入るのかと想像するが、何がおもしろいか理解できなかった。
最近先輩に聞いたら「どざえもんの様に、苦しそうに沈むだけだ!」と言った。
若干、S好みの人に喜ばれたのだろうか?

 その路地裏の中心に「有馬検番」(現在もある)があり、昼間は三味線や踊りの稽古の音が聞こえてくる。
検番の一軒置いた隣りに「竹の家」といううどん屋が有った。
続に言う「大阪うどん」で、腰のない麺に、砂糖だけで炊いた「薄揚げ」が乗った、「けつねうどん」(きつねがなまる)が名物の店だった。
 この店では「けつねうどん」と呼ばず、「しのだ」と言っていた。

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March 02, 2005

芸者さんの話-4

 浮世風呂の時代から、昭和30年に「売春防止法」ができるまでは、有馬温泉の接客に“SEX”はつきものだったように思う。
ただ性を売るにしても、それなりにランクがあったようだ。
兵庫県観光連盟が昭和25年に発行した「兵庫県郷土グラフ 第三篇「神戸・六甲」」によると・・・

有馬の生態
 ところで、今の有馬温泉の人口は、世帯数818、男1.534人、女1.721人、合計3.255人(昭和25年7月1日調べ)の人が、狭い谷間に住んでいる。女の方が200人ばかり多い。近くでは昭和15年ごろが一番隆盛期で、当時は8.000人からの人口をもっていた。(2005年現在 世帯数953 人口1.557人)
 それが戦争の19年になると、2.000人足らずに減ってしまった。
こういうはげしい変わり方は、この町が遊楽地で立て来た関係だろう。

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March 01, 2005

芸者さんの話-3

浮世風呂

湯女は徳川三代将軍の時代まで、禄高を与えられ、有馬温泉の振興に一役買ったと思われる。
しかし温泉に入って、食事をしたり、女性の接待を好むのは洋の東西を問わず、世界各地で行なわれていた。
とうぜん温泉療養だけでなく、温泉に快楽を求める人達が出てきても不思議でない。
江戸、元禄時代に入り「浮世風呂」と呼ばれる施設で、売春行為が行なわれていた。
有馬温泉に来られるお客様も、江戸中期に入り、湯女に快楽を求めたと想像される。

幕府は浮世風呂での売春行為を禁止するとともに、その代わりに遊郭をつくった。
吉原とか福原等・・・

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February 28, 2005

芸者さんの話-2

121湯女(ゆな)
任西上人は、薬師如来の守護神、十二神将にちなんで、十二の宿坊を建てたといわれる。
その宿坊にそれぞれ湯女がいて、入浴客の世話をしていたという。

湯女は「大湯女」と呼ばれる世襲制の名を持つ湯女がいて、例えば御所坊の大湯女は“まき”という名があった。
そして有馬(現在の有馬町よりも範囲が広い)生まれの、処女の女性が「小湯女」とよばれていた。
・・・つまりHな関係は、浴客となく、碁を打ったり、詩を詠んだり、文化的な付き合いをしていた。

想像だが、Hな関係を求めるには、もっと違う方法が簡単に有ったのだと思う。
そして不順な温泉浴でなく、もっと療養治療で使われたと思う。

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February 27, 2005

芸者さんの話-1

遊女・遊芸の民

(はじめに)
間違っていたり、言葉足らずであったらお教えください。

かつて「海の民」「山の民」と呼ばれる人達がいた。平安時代のこと。
平安時代は公家社会。平家が政治を行なっていた。
当時、政を決める際「亀甲占」により、可否を決めていたという。
つまり亀の甲羅を焼き、そのひび割れの状態を見て、“えらぎ”と呼ばれる占い師が判断した。

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January 03, 2005

有馬 入初式

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昨日は江戸中期から続く「入初式」(いりぞめしき)という伝統的な行事が行なわれました。
この行事は、有馬の恩人 行基菩薩と仁西上人に有馬の初湯に入ってもらう儀式です。この儀式がすまないと、一般の人は温泉に入れないのです。しかし現在では旅館に内湯が引かれ、元旦でも入る事が出来ますが、外湯は2日の12時頃まで開きません。

昔から旅館組合の規約には、入初式に参加しなければいけないことが定めれています。有馬温泉資料によると、御所坊の先祖が羅漢コウシキというお経を唱えた僧侶を羅漢振舞と言って、ご馳走でもてなすのです。
その時の献立が残っており、結構贅沢なモノでした。

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December 20, 2004

有馬温泉は日本のサイダーの発祥地

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有馬里駐車場から上がり、簡保の宿の前に「炭酸地獄」「虫地獄」「鳥地獄」と呼ばれる、小さな空間がある。
ここから二酸化炭素が出ることにより、虫たちが二酸化炭素中毒で死んでしまう。
この二酸化炭素が入ったのが「炭酸水」。
稲荷神社の鳥居の前の小道を下ると「炭酸公園」があり、ここで炭酸水を飲む事ができる。
炭酸公園を下ると、炭酸水を使って作られる「炭酸せんべい」の工場や手焼で焼く店がある。
本物の時代といわれる現在、膨らし粉だけでなく炭酸水を混ぜて焼かれている。
炭酸せんべいは大別すると、3つの味の違いがあると友人の炭酸せんべい業者は言う。
どれが良いかは、各自のお好み次第。

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November 07, 2004

新 有馬温泉発見!?

 11月14日(日曜日)午後2時より、温泉寺で“御祖師まつり”が開催されます。
 このお祭りは、行基さんと仁西上人の命日の法要です。
・・・といっても行基さんの命日は、2月といわれていますから、仁西上人の命日だと思います。
 どちらにしても、有馬温泉の大事な僧です。
 その時に・・・・新しい温泉が発見されるかもしれません!!!!!
 どうなるか分かりませんので、責任はもてませんが

arima13.jpg
 上の写真は「入初式」(いりぞめしき)で、毎年1月2日、有馬温泉の初湯を両上人に入ってもらう行事です。
・・・ですから、新しい湯が発見されたならば、ぜひ入って頂きたいと考えています。

 なお当日、午前中は有馬温泉観光協会の青年部主催の「湯運びレース」が、温泉寺から湯泉神社までの階段を使って開催されます。

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